南加鹿児島県人会

Kagoshima Prefectural Association of Southern California

南加最古の県人会・南加鹿児島県人会沿革・・・顧問・西タック武弘


「我が胸の燃ゆる思いにくらぶれば煙はうすし桜島山」と幕末の志士、平野国臣が詠んだ桜島は鹿児島の象徴でもあります。燃える郷土愛がこの南加最古の県人会の創立の起因でもあるのでしょうか、南加(南カリフオールニア)の40以上の県人会の中で最も古い歴史を誇り創立119周年を迎えているのが南加鹿児島県人会です。


(制作年未詳であるが文字が右横書きで記載されていることから戦前と推測される)



幕末の薩摩藩留学生として欧州よりニューヨークで学び北加のサンタロサに移住して2000エイカーのブドウ園を経営し、ブドウ王として知られた長沢鼎が鹿児島県人のカリフォルニア移住者の第一号といわれております。

南加鹿児島県人会は1895年に北加鹿児島県人会の南加支部として発足し独立した活動を開始した1899年が創立の起源です。
1903年にはロサンゼルス市の6街に県人会事務所を開設し以後、東4街136番地、東1街、有村旅館内に移転して居ります。
1910年には県人会とは別に鹿児島婦人会が発会し「鹿児島婦人の友」らも発行し、県人会は1914年には鹿児島県人誌「隼人」13号を発刊し以来16号まで発行した。

100年前の県人会恒例の親睦ピクニックには大型自動車(バス)が出る程盛会で、現在の鹿児島県人会のピクニックも手作りのステージらで特殊性をアピールしています。
1942年に第二次大戦の為に自発的に解散し、預金は国防費に献納し、1947年鹿児島クラブとして再発足し1950年南加鹿児島県人会と改称して現在に至る。
1957年鹿児島婦人会は鹿児島県人会と合併した。1959年鹿児島県より1,100が難民移民家族呼び寄せで渡米した。

1966年より16年間、南日本放送の高校生米国視察団の歓迎会を県人会が開催しております。
1972年に渉外部、文化部、余興演劇部、運動部(野球部、ゴルフ部)を新設し、1974年第1回ゴルフトーナメント大会を開催志、ヒルトンホテルで創立75周年記念祝賀会(鹿児島より120名参加)柔道、剣道、ゴルフ、野球大会に加えて追悼法要、前夜祭を開催し「南加鹿児島県人誌」(422頁)を発刊した。

1976年、第1回バレーボール大会をウエストウッドで開催1983年鹿児島青壮年部、鹿児島ジュニアクラブが発足した。1999年、ジュニアクラブはヘリテージクラブと改称して現在に至る。
1999年鹿児島県人会創立100周年記念祝賀会をトーレンス市のマリエットホテルで開催(750名参加)創立100周年記念誌(360頁)を発刊、母国訪問団訪鹿。


(2003年3月須賀鹿児島県知事(当時)と)
2006年・鹿児島県人先亡者慰霊碑をエバグリーン墓地建立した。2009年、県人会創立110周年、婦人会創立100周年記念祝賀会(クワエットキャノン)で開催し記念誌(152頁)を発刊した。
2014年は創立115周年記念祝賀会をトーレンス市のハラデーインで開催し第41回バレーボール大会、ゴルフ部は創立42周年記念の第119回ゴルフ大会の開催し、かるかんコーラスは23年連続での県人会協議会親睦演芸会に出演協力、敬老慰問を続けている。