サリナス・ワトソンビル鹿児島県人会

Salinas Watsonville Kagoshima Kenjinkai

1960年代後半から鹿児島から移住して来た一世の人達が仕事として選んだのは 花の栽培でした。
一番のピーク時は70~80家族が この花の栽培に 携わっていました。 こうして始めたビジネスは皆が成功を収めはしましたが、しかし、それは長くは続きませんでした。 花のビジネスをやめていく ひとつの要因として アメリカの政治上、ブッシュ政権下 南米からアメリカに麻薬が入ってくるのを阻止するため、南米に花作りを奨励しました。
その後南米から輸入される花は カリフォルニアで作られる花よりも十分の1程度の安さで 花のビジネスも段々と下り坂となっていったのです。 もう一つの要因として 子供たちには立派なアメリカ人として教育を重視するようになりました。 今 その子供達は 其々日系アメリカ人として 色々な分野で活躍しています。 一世の親達は皆年を取り その半数以上は他界している様な現状です。 そういう事もあり我々県人会も 残念乍ら毎年先細りとなっています。

この写真は 一世の県人会の皆さんを囲んだ会合のものです。